今流行りの『けものフレンズ』と「チートでハーレム」の関係性について考えてみた
けものフレンズ・チートでハーレム・ここ20年くらいの大流行したアニメには共通点があるのではないか?そんな話である。
けものフレンズが今大流行している。
NHK風のゆったりとした会話と動物の特徴の解説付きという物語の進行で、主人公である「カバン」自身が何者なのかを知るために旅をするロードムービー的ストーリー(6話までは)だ。
一番の魅力はやはりフレンズ達(動物が擬人化された女の子[アニマルガール])の緩い会話とストーリーの陰にある人間の絶滅を示唆する不穏な雰囲気の演出なのだが、そのフレンズ達のする会話、一切の否定をしない完全な優しい世界観に魅了されているのではないかと言われているのをよく見かける。
そしてこの『一切の否定が無い完全な優しい世界』の程度がこれまでの物語と比べて群を抜いている。
これは物語の構造による点が大きいと考えられる。
まず、フレンズ達はそれぞれ得意・不得意な分野があり、元々の動物(フレンズ化前の姿)に由来している設定だ。そんな様々なフレンズ達との出会いによって展開されたストーリーは物語の中心となるフレンズの得意・不得意を際立たせるためのエピソードになっている。
一般的に登場人物の得意な分野を観客に印象付けたい場合には、登場人物自身の言葉で「これだけすごいんだ」と説明させたり、ナレーションにより凄さを伝えるよりも、他者に褒めさせるという手法を使った方が真実味があり自然な会話が作れる。
このように各フレンズの特長を目立たせるため、相手の得意な部分を言葉に出して褒めることシーンが頻発する。
さて、そんな物語を展開させる推進力となる『人間』を入れ込んだ。
人間の得意な分野はもちろん「知恵」である。
「知恵」を使うことが得意なフレンズとして物語を回していくとなると、その対比として他のフレンズの頭を相対的に悪くする必要がある。
しかし、設定上フレンズ化した動物は人間と似たような外見で会話により意思の疎通が出来るようになっている。
そのため「人間の言葉が話せるのに頭が良くない」バカばっかの世界にも関わらず、説明的、もしくは価値観の解説的な「他者を褒める」という、「異常なバカがなんでもない人間の知恵を褒める」という妙にちぐはぐな世界観が出来上がったのではないかと思う。それがよく話題に上がる『すご~い』『◯◯が得意なフレンズなんだね』となる。
結果、他人をガンガン褒めるのにゆるそうな話し方をしているキャバ嬢の様なキャラクターと誰にも否定されない完全な優しい世界が出来上がった。
この『欠点があっても受け入れてくれ存在しているだけで愛される世界』にあこがれを抱いているのが今回の『けものフレンズ大流行』という現象なのではないか。
『欠点があっても受け入れてくれ存在しているだけで愛される世界』という言葉は少し長い。
私の知っている言葉の中で一番近いのが『アガベー』ではないかと思う。無償の愛、真の愛、神の愛。呼び方はいくつもあるがそのような感じだ。
そして今回の話の主題は「ヒット作の裏にはアガベーあり」ということである。
少し過去のヒット作を振り返ってみよう。
社会現象とまで言われた大ヒット作。
評論の世界では『セカイ系』などと言われ多くの分析をされてきた。このエヴァのテレビシリーズ版最終回では主人公であるシンジは安らぎが欲しい、嫌われたくないという思いで自分の世界に閉じこもる。他者からの批判などの苦痛からの回避のためである人類補完計画、道具として使ったのは完全な世界の代名詞である母親の胎内のメタファーであるエヴァンゲリオン。その主人公の内面世界を徹底的に描いた作品となっている。
登場人物の多くが求めているのはやはり母なる愛、無償の愛、アガベーではないだろうか。
(劇場版ではシンジは二者択一の末に結局アガベーではなくエロスを取ったが。)あまりの内面描写ぶりに新興宗教のようだと批判されたのもいい思い出である。
『涼宮ハルヒの憂鬱』
主人公ハルヒは宇宙人・未来人・超能力者と一緒に遊びたいと公言する、実在したらかなりぶっ飛んだ思考回路の持ち主として描かれている。
これは裏を返すとそうでありたいと願っている自分自身とは違うツマラナイ世界という状況である。拡大解釈して一種のコンプレックスとしよう。(実際には宇宙人、未来人、超能力者は揃って同じ部室にいるのだが、ハルヒ自身の「当然このようであるはず」という世界観が邪魔をして気づくことはない。)
そんな不満のある現状、欠点のある世界ではあるが、みんなと仲良く過ぎしていくうちに段々と不思議なことが起きない一般的な世界が好きになってくる、もしくはそこに染まって普通の生活を価値観を持つようになる。
ハルヒ側からすると、ツマラナイ世界=欠点のある世界にいるにもかかわらず、そんなツマラナイ世界の自分を受け入れてくれ、馬鹿なことにもイヤイヤながら応援してくれるキョンという存在が大切なものになってくる、つまりキョンからアガベーを受け取っているとも言えるのではないか。
論理を飛躍しすぎか。
このあたりまでは主人公がアガベーを求めさまよう物語であるが、2010年付近になってくるとアガベーに染まった世界で過ごす物語が増えてくる。
『けいおん!』『ご注文はうさぎですかい?』
これらは分かりやすい。
ホモソーシャルの世界で大人という存在がほぼいない、いわゆる『日常系』の二大巨頭である。
女の子がきゃっきゃウフフするのを見ることが出来る。欠点があっても受け入れ、いいところを褒め合う完成された世界の話である。
この傾向はそのままチートでハーレムの物語にも通じるのではないか。
なろうを代表する近年一部からバカにされてきたチートでハーレムものラノベ。
その主人公の多くがチート能力を持っている、もしくは逆に主人公の能力はさほどではないが周りの能力や知識が低すぎる現代チートによって周囲から認められる。という物語になっている。
そしてそのような能力の有無に関わらず可愛い・綺麗な娘たちにチヤホヤされるハーレムを築くことになる。
主人公の多くはスポ魂もののような血のにじむ努力をしたわけではないにも関わらず出世していく、特に苦労せずに場合によってはむしろ迷惑だと思いつつも女の娘に囲まれていく。
何もしなくても認められる、欠点を持っていても認められる、ちょっとしたことでも褒められる。これはアガベーではないか。
そんな物語を見る・読むなどして楽しいのか?と考える人もいるだろう。
これはなかなか甘い蜜だと思う。現実ではなかなか起こりえないので想像しにくいかとは思うが、このような状態になった人々を報道などで見ることはあるはずだ。
絶対的な権力者である。独裁者や重鎮の政治家、大物芸能人も当てはまるだろう。周囲は全てイエスマン、すべてが思うままで周りからもてはやされ全く不足の無い、むしろ過剰な状態が続く。
そんな甘い蜜から抜け出したいと思う人はこの世に何%いるだろうか。いるとするならば、その日とはまさに聖者である。そんなアガベー世界を疑似体験したい、世界に浸りたいと思うのはおかしなことではないと思う。
そんな妄想の世界くらい良い思いをしたいという人たちが『けものフレンズ』を支持している層の一つなのかもしれない。
結論としては一言。
_人人人人人人人人人人人人_
> みんな愛に飢えている <
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