なろう系小説から現代人の望みを考えてみるブログ

なろう系小説は現実逃避ツールなの?現代はそこまで不幸な世の中なの?小説家になろうから現在人の望みは何なのかを考えてみるブログです。

神の扱いから見たなろう読者の望みを実現するための仮説

今回はアニメやラノベにおける神様の扱いからなろう読者の望みを考えてみた。



最近ふと、まどかマギカの評論を聞いて「神」を視点に考えてみると面白いと感じた。

やはりフィクションの中では神様というのは使いやすいメタファーであり、ストーリー展開をなんとでも出来るワイルドカードだなと改めて分かる。


まどマギに関しては解説や評論を読んでいる方々なら分かっているであろうが、神と悪魔、アガベーとエロス、秩序と混沌などという観点で語られることも多いと思う。

「神」とは絶対的な存在であり、その領域を犯すことのできない特別な存在である。


なろう系での「神」の扱い

さて、なろう系では 「神」はどのように扱われているだろうか。

死んでしまった主人公にチート能力を与える存在になっていることが多い。

力が欲しいという願望を叶えてくれる創作物では主人公が神になるのが手っ取り早いはずなのだがなろう系では意外と少ない。


代表的なテンプレを上げると、トラックに引かれ神様からチートを与えられ異世界に飛ばされる。という流れがある。

なろう系では多くの作品が最終的に神になるのではなく、あくまでも神からチート能力を授かる。という展開が多い(例外として不定形主人公などが強さのインフレを起こして神を超えるものもあるが)。
つまり読者としては自身が神になるのではなく、辛いことの多い今の世の中から脱してもっと素晴らしい異世界へと行って悠々自適に暮らしたいという意図が透けて見える。

このブログは元々、なろう系というものは現代の浄土信仰ではないかという記事を読んで書き始めたのだが、よくよく考えてみると仏教における救済とは「世の中は辛く、そこで悟りを開いて輪廻の輪から抜け出る。」という考えであると思っている。


ただ、なろう系の多くは多少はしんどいこともあるが、それほど悪くない今の世の中から転生・転移をして神様から才能(タレント)を与えられて次の世界へと旅立つ。(『無職転生 』 などは辛い世の中だが。。。)

あくまでも悟って世の中の辛いことを些細なものだと気づくのではなく、絶対的な神という存在からタレントを授かってより良い世界へ旅立つというのがテンプレとなっている。

意外と日本にはキリスト観が根付きつつあるのかもしれない。


ここでもう一度なろう系の神の扱いを考えてみる。

多くの作品の中で神とは初めに出てきてチートを与えるだけ。ということが多い。

中には一緒に次の世界へと旅立つものがあるが、その場合は大抵が女神(ミューズ)として存在してハーレム要員になることもままある。

そしてミューズは力を持っていることもあり、自由で天真爛漫だ。

神は主人公にチートを与えるものであり、数ある作品の中には神の意志があまりに意図を持ちすぎて「この異世界は何のために作られたのか?」といった「セカイ系」的作品のストーリー進行上のサスペンスとして機能する場合もある。


しかし、ほとんどの場合、基本的になろう系では主人公自身が神にならないし、なろうと目指さない。
神は絶対的な存在で主人公とは関わることもなくチートを与えるだけのことが多く、過去の少年ジャンプのような絶対的な強さの象徴として目指すべき対象にならない。

女性向けなろう系小説の「神」

話を少し変えて、なろう系異世界転生ものでも女性向けの作品では様相が変わってくる。

最近多い異世界転生の恋愛カテゴリのテンプレでは、主人公はこの世界の乙女ゲーの登場人物(主人公だったり悪役令嬢だったりするが)になることが多く見受けられる。

この場合には主人公はゲームの中の登場人物と恋に落ち結ばれるというのがお約束であるが、現世で入り込む先の異世界である、乙女ゲーの情報を把握していることが多い。

ゲームをしている主人公がその中に入り込む。

つまりメタ的な視点で転生先の世界のこれからの未来や登場人物の性格や過去、秘密など様々なことが分かっている。

これは言い替えると主人公が神の視点になるといことになるのではないだろうか。

(もちろんテンプレはそれだけではなく、主人公が下級貴族の令嬢がシンデレラストーリーになったり、貧乏な農村の娘が王子に見初められてシンデレラストーリーになったりと、乙女ゲーをやりこんだ主人公というのは多くて1/3程度ではあるが)


ここで改めて女性向けで神に関わる人気漫画アニメを調べてみた。

人気上位に来ているのが『神様はじめました』や『かみちゃまかりん』。主人公自身が神様になっている。
世界で一番売れたコミックとしてギネスにも載っている『フルーツバスケット』の内容を雑にさらうと、主人公が色々苦悩しながら「みんなに愛される」という神様の座を奪うというストーリーにも見える。

実は神様になりたい願望は男性よりも女性のほうが強いのではないか。

そろそろ結論を

なろう系主人公は、男性向けでは神から能力を受けたい。女性向けは自身が神になりたい。ということにしておこう。


その前提で、ここからは極論であり、暴論であり、個人の勝手な意見ではあるが、なろう系読者の心のうちの望みを転生せずに現代で叶えられるという事を前提にうまくマッチングさせればいいのではないかと考えた。神になりたいなろう女子と神に祝福を受けたいなろう男子のマッチングだ。つまり



『姉さん女房と年下男 』はどうだろうか。

あくまで実現可能でなろう読者の秘めた願いを叶えるということならコレだろう。


神になりたい願望があるなろう女子は年下の男を捕まえてうまく掌で転がせ。

いいように持ち上げてなだめすかし、男を出世させたり高いスキルを身につけさせろ。

現代で力を持っている男に唯一愛されるにはこれが一番手っ取り早い。

可愛くない?気にするな男はバカだ。雰囲気で押し通せ。



逆に男どもは掌で転がされながら力をつけろ。

自分のために力をつけるというのがスポ魂的な感じで嫌なのだろう。

なろう好き男子の本質としては、辛いことを続けるのが嫌だという逃げの姿勢がチートに表れていると思う。
つまり、頑張る対象がいればその努力自体はストレスに感じにくい。

お金の力だったり、権力でも、資格でもなんでもいい。女に喜んでもらうための何かを身につけろ。

そして筋トレしろ。骨ばった薄めの体なのに、意外と筋肉があっていざという時には力強いというのは女子の憧れだぞ。

顔はこの際しょうがない。美女と野獣を思い出せ。




そして男子向けなろう系で欠かせないのがハーレム要素である。

今の日本は一夫多妻は受け入れられない。


さて、どうするか。


ハーレムというものの要素を分解してみよう。

ハーレム=(力を持っている男性主人公に対して)たくさんの可愛いもしくは綺麗な存在+庇護しなければいけない格下の存在+エロい


ここから性的な要素を抜いてみると、庇護しなければいけない可愛くて弱い者の集まり。つまりたくさんの子供でもいいのではないか。


姉さん女房と年下男 が子だくさんの家庭を築く。

現代で似たような居場所を作るにはコレが最適ではないか。

むしろなろう系の読者は心の奥底でこういった願望を抱いているのではないか。



まあ、「それが出来ないから小説に逃げているのでは?」と言われたら反論のしようは無いのではあるが。